私がごく小さい頃に見たSF映画は、時代設定がすべてといっていい位未来のものでした。そこに描かれる未来の社会は、人工的な街並みや人々の衣装、そして現代社会で人類が抱えている、様々な問題が解決されたような高度に進んだ科学技術、そしてまた、人々も現代人の持つ悩みや苦しみから解き放たれたような、明るく知的でモラルあるキャラクター、そうしたいわゆる明るい未来が、何の迷いもなく描かれていたものが非常に多かったように思います。そうした未来が物語の中で描かれるというのは、どういった社会背景があったのでしょうか。
それは、戦後先進国のほとんどで経済が飛躍的に復興、発展し、それと同時に科学技術の発展も、人間の暮らしに光をもたらす方向にのみ発展していくだけのものと考えられていた時代であったように思います。実は同じ時代に、SF小説の世界では、科学の発展が人類に大きな災厄をもたらす未来というのは、多くのすぐれた作家により描かれている世界観でした。ですが、そういったものが、多くの人が目にする娯楽性の強いエンターテイメントであるSF映画には現れなかったというのは、興味深いことだと思います。
例えば原発の危険性が問われるようになってもう長いですが、戦後、原子力の平和利用の実用がその緒を切った頃は、おそらく一部では予測もされていたであろう負の面にも、多くの政治家や科学者、もちろん一般の人も目を向けようとしない時代であったと思います。その後、日本で言えば高度成長期を過ぎたころ、科学の発展が人の幸福に寄与する方向に進むと約束されたものでないことが、多くの人が痛みを伴い理解してきたころに、SF映画もまたSF小説に遅れて、終末的な未来社会が多く描かれるようになったと思います。